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高松高等裁判所 昭和26年(ネ)151号 判決

控訴人 井上イチヱ

被控訴人 小松忠八

主文

原判決中被控訴人の請求を棄却した部分を除くその余を次のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人から金二十万三千三百七十九円を受領すると引換えに被控訴人に対し坂出市坂出町字西新開千七百六十一番地上の木造瓦葺二階建浴場建物(但し浴場、浴槽、脱衣場、釜家、煙突、厠、タンク鉄管、カラン等を含む)の内二階の六畳二間及び四畳半一間並びに階段及び東側の出入口を除くその余の部分を、明渡(但し便所及び炊事場は当事者において共同使用のこと)すべし。

被控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じ五分しその一を被控訴人の負担としその四を控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、原判決中控訴人勝訴の部分を除く爾余の部分を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴を棄却する旨の判決を求めた。

当事者双方主張の事実関係は、それぞれ次のとおり補正した外孰れも原判決摘示の事実と同じであるから茲にこれを引用する。

被控訴人において「被控訴人は、本件浴場において浴場営業を経営しているものである。それで該浴場営業について従来主張約定の外被控訴人が控訴人に対し該浴場建物但し浴場、浴槽、脱衣場、釜家、煙突、厠、タンク鉄管、カラン等附属したもの並びに浴場営業に要する諸道具等の保管を托するとともに釜炊き、掃除、燃料の買入、湯銭の徴収等の事務の処理を委託し、控訴人は営業の都度その収入中から一日につき金一円九十銭を被控訴人に交付しその余を取得する、又右物件の修繕は一ケ所一回に付金五円までは控訴人において負担し超過する部分は被控訴人の負担とする等約定をした浴場管理契約でありその法律関係は控訴人において取得する収入の一部を報酬とする委任乃至準委任及び寄託を内容とする混合契約である。昭和二十一年六月三十日管理人の井上一夫が死亡したのでその妻であつた控訴人との間において、その頃従来被控訴人と亡夫とが契約していたと同内容の管理契約をした。控訴人抗弁の如き費用の支出及びその利益現存の事実は否認する。従つて留置権も争う。」と補述した。

控訴人において「本件浴場建物が被控訴人の所有であることは認める。占有する本件浴場その他の物件に関し別紙添附明細書〈省略〉記載の如き支出をするに至りしかもその利益も現存するのでこれを被控訴人に求償し得べきであるからその支払いを受けるに至るまで該浴場その他の物件は、これを留置する。」と補述した。

〈立証省略〉

理由

成立に争いのない甲第一、六、七号証原当審証人小松幾太郎の各証言、当審における控訴本人の供述の一部を綜合し弁論の全趣旨をも考え併すと、被控訴人は、表示の浴場建物として浴場、浴槽、脱衣場、釜家、煙突、厠、タンク鉄管、カラン等附属のもの(以下これ等附属のものを含めて本件浴場建物と称す)を所有するところその他浴場営業に要する諸道具を設備しかつ自己名義の浴場営業の許可を受けて大黒湯なる名称のもとにこれが浴場営業を、経営しているので予ねて被控訴人から右浴場建物中二階の一部(四畳半及び六畳各一間)を賃借していた関係のある訴外井上一夫(控訴人の亡夫)との間において、昭和十六年三月二十一日頃、右大黒湯及びその浴場営業を右訴外人に管理させる、その期限は昭和十七年三月二十一日までの一ケ年とする。右訴外井上は、浴場収入中より一日金一円九十銭を被控訴人に交付し爾余の収入はその所得とする。又期限到来の場合右浴場建物及び諸道具等一切を、被控訴人に引渡す、又該物件の修繕は、一ケ所一回につき金五円まではこれを負担し超過する部分は被控訴人の負担とする。尚又期限到来その他管理廃止の場合は、右浴場並びに諸道具一切を、被控訴人に引渡す、その義務を怠りたるときは履行するまで浴場営業をすると否とに拘らず一日につき金十円の損害金を被控訴人に支払う等約旨の契約をしたこと及び該契約はその後毎年期限到来の際更新されていた、ところで昭和二十一年六月三十日右訴外井上が死亡したのでその妻たる控訴人において、その頃被控訴人承認のもとに右契約の上権利義務を承継しその間に被控訴人と右訴外人との間におけると同約旨の契約ができたことを認めることができる。控訴人提出援用の乙第一乃至八号証第九号証の二乃至七十四、前示控訴本人の供述に、控訴人並びにその亡夫においては、昭和十七年度以来右浴場営業者として賦課される所得税、営業税その附加税等の公租公課を納付し並びに浴場組合に加入し組合費の負担に任じていることが認められるので前記大黒湯の浴場営業経営者が控訴人並びにその亡夫であり従つて浴場を賃借しているかのように思わせるものがあるけれども、前示甲第一号証及び成立に争いのない甲第二号証の一乃至八、前示証人小松幾太郎及び当審証人二村新太郎の各証言を綜合すると、坂出市役所等において、右浴場営業に関し誤つて訴外井上一夫名義で発した課税令書を同訴外人より回付を受けて被控訴人は、昭和十七、八年頃まで営業税及び附加税等納付するとともに右市役所等へ課税令書発布を被控訴人名義に訂正方を求めておいた、然るに右訴外井上及び控訴人よりその後課税令書の回付をしないし市役所等も訂正しない儘経過していることが認められる、だから右浴場営業に関する税金は元来被控訴人の負担であるものを控訴人等において代納しているとなすべきであるとともに浴場組合には、営業者に代り該営業を管理する所謂管理人が代つて加入することができるとされていたので管理人たる右訴外人及び控訴人等において、組合に加入し組合所定の積立金、組合費等の負担に任ずる、だから管理廃止の場合には同人等が右積立金の返還を受けるものとする約定(甲第一号証の第三条)をしていることが認められるので控訴人等は、管理人として組合へ加入し、その組合費の負担に任じていることが明らかでもある等特別な事情の存することが認められるから控訴人等が右大黒湯の営業をしているものとすることの資料とすることはできない、又当審証人国土稔、山本信一、青山芳弘、井上惣吉の証言における大黒湯の営業主が控訴人であるかのような部分は信用し難く他に控訴人抗争の如く控訴人等が大黒湯における浴場営業をし或いは賃借していることの認められるものがない。故に前認定の契約は、控訴人に対する本件浴場建物及び諸道具の寄託並びに浴場経営の委託管理等を内容とする被控訴人主張の如き趣旨のものというべきである。

次ぎに前示証人小松幾太郎の証言によると、被控訴人は、昭和二十一年十二月頃控訴人に対し予め約定の期限たる昭和二十二年三月末にはこれが明渡しを求め管理契約の更新をしない旨をも通知したことが認められるので前示管理契約は、約定期限の昭和二十二年三月末の到来により消滅したと云うべきである。また仮りに右管理契約は、更新されたものであるから期限の定めが存しなかつたものとするも、右明渡請求には、解約の意思表示を含むこと明らかであるから指定日時の到来により解約の効を生ずるに至つたと做すべきである。

控訴人において、控訴人は、子供四人も抱える未亡人であり子供も漸く上が十数才のものに過ぎないし他に財産は勿論収入の途を有せず僅かに右浴場営業の収入により糊口を凌いでいる有様でありかつ明渡により住む家を失うに至るに反し被控訴人は坂出市における素封家であり他に多数の貸家を有し、又その家族もそれぞれ成人し職業に就いていると述べて被控訴人の請求が不当であるかのような主張をするので審究するに、右管理契約の消滅によりその目的たる本件浴場建物中控訴人賃借部分たる二階四畳半及び六畳各一間を除くその余を引渡さなければならなくなるだけであり直ちに住む家を失うようなことゝはならないし、前示証人小松幾太郎の証言及び控訴本人の供述により右控訴人主張の事実は、被控訴人の家族等に関する点を除くその余を認められるが被控訴人においては、昭和二十二、三年頃多額な財産税のためと経済事情変動のため等により収入を求めなければならなくなるに至つたので約旨の期限到来による契約消滅を機に明渡を求め乃至は解約の申入をしたのであり、しかも本件訴訟が繋属していたとは云え爾来七、八年も経過し控訴人においては、その間右浴場営業を続けその収入を独占している等の事情も認められるに徴すると右契約更新の拒絶乃至は解約及びそれを理由とする本訴請求を不当乃至信義誠実に反するものと云うことを得ないので権利の濫用と云えないから控訴人のこの点の主張も失当である。

そうすると、控訴人は被控訴人請求の本件浴場建物中その賃借部分たる二階の四畳半及び六畳各一間を除くその余の部分を明渡(但し便所及び炊事場は当事者において共同使用のこと)さなければならないところ留置権の抗弁をするので按ずるに、当審証人井上惣吉の証言により成立を認められる乙第十一号証の二、第三者(国土稔)作成のものでありかつ当審証人国土稔の証言をも併せ当裁判所が真正に成立したものと認める同号証の八第三者(山本信一)の作成にかゝりかつ当審証人山本信一の証言及び前示控訴本人の供述を併せ当裁判所が真正に成立したものと認める同号証の九及び十三、前示証人井上、国土、山本の各証言及び控訴本人の供述を綜合すると、

「控訴人は、前認定の契約終了以前受任事務たる本件浴場の経営をするため本件浴場建物における屋根、浴槽、雨樋等の修繕並びに浴場建物として必要な風呂釜腐朽による取換え等に別紙添附目録番号2、21、35、48、記載の如き前認定約旨に所謂控訴人の負担に属さない費用計金四千八十五円の必要費を支出したことを認められるしそれ等費用償還につき期限の定めがあることの窺われるものがないので直ちに償還を求め得られるものと云うべきであるから右契約終了するも法律上当然引続き該費用の償還を受けるに至るまで該浴場建物(主文掲記の附属物を含むこと前記のとおり)を留置し明渡を拒み得べきである。のみならず該留置物を善良なる管理者の注意をもつて占有すべきでありそのため本件浴場建物の如き留置物を浴場経営のために使用するは民法第二百九十八条第二項但書に所謂保存に必要な使用と云うべきである(しかも控訴人は受任者として委任の本旨に従い善良なる管理者の注意をもつて委任事務たる浴場経営に関する事務を処理すべきであり委任終了の場合においても委任者たる被控訴人が費用の償還と引換えに留置物の引渡を受け自ら右浴場経営の事務を処理するに至るまで応急必要なる処分として該浴場営業をしなければならないものでもある)し右留置物につき更らに必要費若しくは有益費を出したときは、それによりても亦留置権を行使し得べきである。」

ところで前示乙第十一号証の二(同号証に比照し各その成立を認められる(以下括弧内同様)乙十の9、24、56)八(乙十の21、30、32、36、42、45、52、65)、九(乙十の6、27、54、55、57)、十三(乙十の16、17、33、44、51)並びに第三者(津山商店、山田啣筒商店、岸本建一、株式会社平田吉俊商店、川崎正直)の作成にかゝり(そして下記括弧内記載の同様な証拠と比照し)当裁判所が真正に成立したものと認める乙第十一の三(乙十の5、11、13、28)、四(乙十の7、12、14、15、25)、六(乙十の2)、十(乙十の29、41、43)、十一(乙十の18、22)、前示証人井上、国土、山本の各証言及び控訴本人の供述を綜合すると、控訴人は、右留置物占有のため、保存に必要なる費用として浴場営業をするに際り前同様本件浴場建物における水槽、脱衣場、浴槽、浴場、屋根、煙突等の修繕及びそれに要する材料買入れ並びに風呂釜その他の取換え等に別紙添附目録番号3乃至14、16、19、22乃至26、28乃至31、33、34、36、38乃至46、49乃至53記載の如き計金十九万二百九十四円の必要費を支出したことを認められるし前説明の如く直ちにこれが償還を求め得るものであるからその弁済を受けるに至るまで留置物を留置し明渡し及び引渡しを拒み得べきでもあり(上叙認定中部品又は金具等の取換え、床のタイル張改装等の費用が有益費に当るとするも、当審における検証の結果及び前示証人山本の証言、控訴本人の供述によりその結果が現存することを窺知できるし反対事情の認むべきものがないのでその価格の増加が現存するものと做すべきでありしかも本件弁論終結に至るまで被控訴人が民法第二百九十九条第二項の選択権を行使したことの認むべきものもないから相手方たる控訴人請求の「その費したる金額」を償還せしむべきものとするから結局前記金額に影響がない)。けれども別紙目録番号1、15、17、18、20、27、32、54記載の如き、新たな小桶、脱衣箱、すだれ看板等買入代金及び修繕費、水道並びに井戸等の修繕費、浴場内塗装費は、浴場営業に必要なものであろうが留置物につき出したる必要費、有益費に該らないと云うべくこれ等費用を事由とする留置権の主張は失当である又便所は当事者の共同使用のものであるからその修理費用並びに前示検証の結果により本件浴場建物に属しないこと明らかな倉庫の修理費用(右目録番号37、47)による留置権の主張も失当なことは明らかである。被控訴人提出援用の証拠に以上の認定を覆すに足るものがない。

右認定の如く控訴人は、留置権により本件浴場建物の明渡し及び附属物件の引渡しを拒んでいるものであるから前認定の約旨に所謂右明渡、引渡等の義務を怠つていると云うに該らない、だから被控訴人の損害予定額の請求は失当である。

然らば、控訴人は、被控訴人から右認定の費用計金二十万三千三百七十九円の支払いを受けると引換えに同人に対し本件浴場建物(前示附属物を含む)の内前示賃借部分たる二階の二間を除くその余の部分を明渡すべきであるから被控訴人の請求は、この限度において認容すべき(尤も被控訴人が控訴、附帯控訴をしないから二階の他の六畳一間もともに除く)もその余は失当とするので原判決は一部不当となるからこれを変更するものとし、民事訴訟法第九十六条第八十九条第九十二条に則り訴訟費用の負担を定め主文のとおり判決する。

(裁判官 前田寛 太田元 岩口守夫)

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